2018年 05月 23日
香港誕生の地・水坑口からの太平山街で愉快なお寺めぐり☆Possession Street and Tai Pin Shan Street
そんな訳で (?)「前にセントラルの古い街並みを歩くガイドブックもらったなァ」と、以前、観光案内所の方にお勧めされた冊子を引っ張り出してきました。
入手の経緯はこちらから。
冊子を片手に、まずは香港誕生の地と言われる「水坑口 (ポゼッション・ポイント)」へ行きました。1841年1月25日、英国海軍が最初の上陸地として国旗を掲げた桟橋があったとされる場所です。具体的にいうと現在、荷李活道公園 (Hollywood Road Park) がある辺りなのですが、とにかくこちらが以来、150年にわたって植民地支配をされた香港の始まりの場所です。説明書きもちゃんとありますが、なければ何の変哲もない交差点です。
こちらが荷李活道公園です。海まで近い場所ではないので「ここに上陸とは?」と思いましたが、ここら辺は当時、湾岸付近だったそうで、ここに英国の軍隊が上陸後、ミリタリー・キャンプが設営されたそうです。その後は中華人のビジネスや社交の場所として発展、中華人がお医者さんを求めてやってくる「大笪地江湖郎中 (Quack Doctors in the Night Market)」というナイトマーケットもここにあり、多くの漢方薬が売られていたそうです。プレイグラウンドや大きな屋根付きの広場、中華風庭園があるのですが、なぜか池の水がものすごく臭かったのが残念でした。
< 荷李活道公園 >
🏢 上環荷李活道
💻 http://cache.org.hk/blog/syp_medical_quack_doctors/
さて。そのポゼッション・ストリートを歩いて行くと、太平山街 (タイピン・ストリート) に出ます。この辺り「太平山区」は、1840年代に大陸からきた多くの中国人によって集落が最初に形成された地域で、300メートル程の通りにいまだ多くの古廟が残っています。まずは寺院とは思えないド派手な外観の「百姓廟 (Pak Shing Temple)」。
< 百姓廟 >
🏢 40太平山街
📞 2546-8277
🕐 8:00-17:00
💻 http://www.amo.gov.hk/b5/trails_sheungwan1.php?tid=25
百姓廟は元々は「廣福義祠 (Kwong Fuk Ancestral Hall)」という中国本土からの移住者の祖先を祀る祠で、1856年に建てられました。その後、大流行したペストで亡くなられた方のご遺体を故郷に送り返すまで保管したり、患病華人の收容所として、貧しい人たちへの医療活動もしていたそうです。この辺り「太平山区」は人口密度がとても高く、衛生環境も悪かったことから、ペストが大流行した場所でもありました。建物自体は国の二級歴史建築に指定されています。
そばには「東華醫院」という病院がありますが、そちらは「百姓廟」で行われていた医療活動を引き継ぐために建てられたそうです。なお「百姓廟」のお向かいには豬扒飯 (ポークチョップご飯) お店「科記咖啡餐室」がありました。店先の猫ちゃんが可愛らしかったです。
さて。階段脇にあるこちらの「觀音堂 (Kwun Yum Temple)」は、富を願うお寺だそうです。こんな所にあるのがすごいなァと思いました。小さなお寺ですが、奥に細長く広がっていて、占い師さんが数名いらっしゃいました。
そのお向かいには、幸運をお願いできるという「太歲廟 (Tai Sui Temple)」があります。どう見てもがらくたに埋もれていて、幸運を願うより、まず先にお片付けを願いたいほどの散らかりようです (←失礼)。とても世界に影響力のある国際都市に相応しい風景とは思えませんが、この混沌さに惹かれる人も多いそうです。そういう人々を「香港迷 (ホンコンマイ) = 香港の熱狂的ファン」と呼びます。ワタクシも一瞬何を血迷ったか、この散らかし放題がまるで「香港へようこそ!」と言っているような気がしてしまいました。香港迷とは、血迷っている人の「迷」だったんですね (←失礼です)。
< 太歲廟 >
🏢 9太平山街
そのお隣は、どこかの村にありそうな壁が煤けたお寺「水月観音堂 (Palace of Moon & Water: Kwun Yum Temple)」です。「派手な壁のお寺やガラクタだらけのお寺。そのお隣にはこんなに煤けたお寺もあって、カオスだけどなんか自由で良いなァ」と思ってしまったのは、きっと猛暑でのぼせて、正しい判断ができなくなっていたからです。そして、黄色と赤の配色にマクドナルドよりウェルカム (地元スーパー) を思い出しましたが、決して「香港迷」な訳ではありません。
< 水月観音堂 >
🏢 7太平山街
なお、この辺りはPOHO地区として (SOHOじゃないYO) 近年栄えてきているようで、カフェやギャラリーなどもたくさんありました。観光局の説明によると、POHOとは、
- Po Hing Fong (普慶坊)
- Tai Ping Shan Street (太平山街)
- Tung Street (東街)
- Sai Street (西街)
- Upper Station Street (差館上街)
の辺りで、PO から始まる通りが多く (って1つしかないけど・・)、縁起の良い「宝」と同じ発音であるため、そのように名付けられたそうです。そして、その東街と西街の間には狭い裏道があり、そこにも小さなお寺「福徳宮 (Fook Tak Palace)」がありました。こんな裏道ですが、歴史的価値があるそうです。ちゃんと名前もあります。「水巷 (Water Lane)」です。
< 水坑口舊址 >
💻 http://www.amo.gov.hk/b5/trails_sheungwan1.php?tid=29
この排水溝が「水巷」という名の由来です。これはその昔、太平山区からビクトリアハーバーまで生活排水を垂れ流しにしていた溝の跡だそうです。昔この排水溝に沿って、人々がシンプルな家を建てていました。水道が普及した後も、人口の増加に水の供給が追い付かず、1日の内、何時間かしか出ない水道水を求めて、住人同士が争ったそうです。そんな人口増加や水不足、汚い排水溝などが原因で、ネズミが急増したのが、1894年のペスト大流行の一因とも言われています。
人とも通らなそうな裏道ですが、ここにもいくつかのストリート・アートがありました。
今回出てきた通りやお寺など、さまざまな所で関わりのある香港医学博物館。併せてお読みいただくと、香港の疫病との戦いの歴史が分かります。ご興味がおありの方は是非どうぞ。
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ご覧いただきありがとうございました。Thank you for reading.